【特別対談】野田聖子大臣×三原じゅん子議員×大川豊氏 

-対談動画-

知的障がい児・者が抱える諸問題に関し、野田聖子大臣(こども家庭庁)、三原じゅん子参議院議員、大川豊氏、障がい者福祉研究所による特別対談を実施しました。7月の参議院選挙に向けて「知的障がい者の明日を考える議員連盟」がどのような方向に向かっていくのかをご覧いただければ幸いです。

※障がいに関する記載について
対談記事の中で、法律用語や制度を示す際は、正確性を期するため「障害者」という用語を使用しています。


大川豊(大川興業 総裁):本日は、知的障がい児並びに知的障がい者の抱える諸問題と未来について、特別バージョンで対談をやらせていただきます。よろしくお願いします。

知的障がい者の明日を考える議員連盟、障がい者福祉研究所主催で、野田聖子内閣府特命担当大臣、三原じゅん子特命担当大臣補佐官に来ていただいて。この選挙の時に、色々伝えていただきたいんです。演説でも一言でも。ちょっと1つ頭の片隅に入れていただければなと思って本日はこういう会を開かせていただきました。

足高慶宣(障がい者福祉研究所 代表):私どもが何か障がい者の方にしたいと思っても、全部制度の中で規定されている。(制度を)よく分かっていただいている国会議員の先生方に、私たちが現状を伝えていかないと何一つ変わっていかない。今で満足しているならそれでいいが、こうしたいという思いがあるなら動く必要がある。
野田先生の議員連盟で約60名の先生方が頑張っておられます。今回の参議院選挙だけでも10名の先生方が頑張られている。全員当選どころか、もっと、野田先生と一緒になって尽力していただく先生を国民の1人1人が作っていかないといけない。

大川豊:多分、国民の皆さん知らないと思うんですよ。野田大臣がちゃんとチョークの会社、現場に行ってご覧になってて。障がい者の方がちゃんとチョークを作って、工賃もですね、例えば通常平均1万5000円ぐらいしかないところをそこの会社は20万円、ちゃんと普通の働く場として活用している。行かれたのはいつごろですか?

<日本理化学工業株式会社での障がい者就労>
チョークや文房具等の製造販売を行う日本理化学工業㈱は、障がい者就労に積極的に取り組まれており、全社員90名中63名が知的障がい者(2022年2月)となっている。同社では障がい者を採用する段階で、社内で徹底的にどのような仕事が可能かを検討することで、障がい特性に合った業務を提供し「社員として本気で働く」ということを実践されている。

日本理化学工業株式会社

野田聖子(内閣特命担当大臣):先代が亡くなられる前にお邪魔しましたから、数年前。

大川豊:そういった現場も行かれて、そこも是非伝えていただけたらなと思っております。

野田聖子:大川さんも現場に行っていただいてありがとうございました。

大川豊:私たちにはあの集中力は無理だと思います。果てしなくチョークが流れてきて、それをすぐに間違いなく、パソコンで言えば、ブライドタッチでもバンバンできるように作業をされている。

野田聖子:あの時考えが変わったのは知的障がいだからできないんじゃなくて、この能力でできることを導こうっていう。例えば、チョークの粉を量るのにグラムは分からないんです。だからここと同じになったらオッケーっていう。その人に合った仕事の仕方を作ることが大切だっていうことを教えていただいて。最初からできないからお世話したじゃなくて、何ができるのかなっていうのはすごく大事だなって思います。

私の息子もいわゆる知的障がい児ですから、わざわざ視察とか施設に行かなくても毎日いるので。その能力と限界っていうのを見ていて、喜んだり落ち込んだりの日々なんですけれども、でも、やはり諦めないこと。とにかく、親バカでいいから、なんかちょっとでも出来たら、それを伸ばせないかなっていう。悩み続けることが大事。

この議連もそうだと思う。
さっき制度が決まっているっていう話で、私は今回大臣として障がい児・者から離れて、子供政策をやって、こども家庭庁を作ったんですね。そこでみんな全然気が付いてくれてないんだけど、今までの子供っていうのは、お金の流れが健常児に行くんですよ。障がい児が健常児と同じものを使った時に初めてその子に対して国のお金が流れるという仕組みができている。だから、これまでは障がい児を持った時に、障がい者枠でいた方がお金がつくっていう感じだった。ただこれからのこども家庭庁は、障がい児も子供ですから、当然、そこの枠の予算が大きくなればなった分だけ、障がい者のためのお金が増えるということ。あとやはりこども家庭庁(の役割)は総合調整ですから、今までは厚生労働省の障がいっていう政策の中にいた子供たちが、今度はこども家庭庁のもとで、日本の子供たちの1人として位置づけられていきます。

(右)野田聖子大臣

これは多分、足高さんがずっとおっしゃっていた既成の制度から変わってくる第1歩なんですよ。問題は障がいっていうと、もう厚生労働省だけになっちゃう。こども家庭庁はそれを超越する役所なんですよ。

足高慶宣:障がい児は生まれた時に最初にどこに引っかかってくるか。
例えば、お医者さんにかかって、精神科に行くのか、それとも単なる小児内科にいくのか。そこでの診断書の書き方で手帳の種類も変わってくる。その結果、それ以降に福祉の手が差し伸べられてるか、差し伸べられていないのかっていうのも変わってくる。7、8年前、厚労省が見ている障がい者の人数は40万でした。今は109万人です。これは、先生方のお力と思っています。私どもが、先生方に駆け込んで、それで先生が声をあげてくれたので。厚労省の役人さんを呼んで「これどうなってる?」と聞いてもらう。そういうことをやっていただいて初めて、ようやく109万まで動いた。

最初にこども家庭庁でみんながそれなりに、精神科であるとか、そういう専門家のアドバイスをちゃんと受けられるようなシステムというのをほんと作ってほしいんですよ。今、少子化とか云々の問題言われているけど、(医療技術の進歩も含めて)知的障がい者の出生率上がってます。パパママとしても怖い話です。

野田聖子:こども家庭庁の特色の1つは、これまで私たちは、子供っていうと、目の前にいる子供が対象なんです。例えば少子化対策っていうと待機児童解消、そこにいる子に対して何をするかなんですけど、今回のこども家庭庁のひらがな「こども」っていうのは、そうじゃない。原則18歳だけど、自分が自立してないというのであれば、年齢は伸ばしていける。そこは今までの霞が関のお考え方と大きく違います。ですからまず初めにお話があった、妊娠した時にもわかるし、検査で分かった時に、もう、妊娠中から伴走していく。そういうシステムを作るわけですよ。それは当然、専門家がいなきゃいけない。

私も子供が生まれたときにはたらい回しでした。知的障がいっていうのはちゃんと制度ができてはいたけど、医療的ケア児って制度はなかった。だから周産期、ママのお腹にいる時に、生まれるまでずっと寄り添っていく中で、その場、その場の対応をたらい回しにされないようにするのが、こども家庭庁なんです。どんな子供であっても生まれる前から相談もできるし、生まれた直後に何かあれば相談できるっていうことで、みんなが安心して、何があっても子供を産むことをためらわないようなそういうことを作ると。
もう20年ぐらい前から言ってんだけどようやくですよ。どうしても「障がいのある子、ない子」で分けてしまうから、子供っていうのは、1つの塊にさせられてしまう。もう生まれた時から障がいを持つ子、途中でなる子はいるでしょう。だから、そういうのも含めて子供なんですよ。これはね、足高さんも力を貸していただきたいし、今までの苦い経験、今言ったたらいまわしされたとか、お医者さんの判断がまちまちだったとか、それはもうどんどん。新しい役所が来年4月にできるんですけど、今からもう準備室がある。私が繋ぎますから。さっき国会議員が言ったからって、それはそれでいいんだけど、やっぱり受け皿がなかったってことよね。

足高慶宣:ほんとに野田先生はじめ先生方には助かってます。私あるいは大川さんが巷で何を言っても、役人さん、聞く耳も持ちません。その辺りはやっぱり野田先生中心で、結果が出てきていますから。

野田聖子:「庁」は総理大臣の直属にあって総合調整の強い権限を持ってるわけです。内閣府の外局っていうのは、法律でその権力を担保されている。要は文科省と厚労省はお互い言い合うだけでマウントできないじゃない。だけど、こども家庭庁って、可愛い名前だけど、完全に勧告権を持っていますから。さっきみたいなことがあったら、役所を通じて何やってるのと、それはできるんですよ。

こども家庭庁の勧告権のイメージ図

大川豊:文科省で勉強のこととか、スポーツのことが子供たちと融合することで逆に元気になったりとか、そういうことがいっぱい出てくるわけですよね。

野田聖子:ようやくわかったんですね。大人たちを幸せにしてもこの国は栄えない。子供たちを幸せにすることで、隣の大人たちもトリクルダウンが来る。意識改革、社会変革のメインプレイヤーの中に知的障がいの子もいるし、肢体不自由の子もいるし、発達障がいの子もいるし、医療的ケア児もいる。いろんなイノベーションを起こしてけばいい。今は単一じゃない。

足高慶宣:言葉の定義一つしないままでは、それに対する対策も非常にファジーな話になってしまいます。また、自治体がよく使う言葉で、地域で支え合おうといいますが、地域の定義もない。対策をとっていくんなら何をどうするか、目的を明確にしないと、何もかも全部やるっていうことは誰も言わないけれど、どこまでやるか、誰を対象にするか、それを明確にしていかないといけない。

野田聖子:未だに「知的障害児(者)」ですものね。私が別に取り組んでいる発達障がい者の支援の議連もあって、今、発達障がいの世界的な会議の中で、その中に知的障がいっていうのは初めて入ってきたから。発達障がいの方で、知的障がいを受け止めて、ちゃんと定義を作ろうかって話が出てる。そこはここと一緒にやれることで。私たちもこの議員連盟でモヤッとした知的障がいをきちっと、こういうグループであって、だけど、きついところと軽度なところとかも、ある程度目安をつけて。

今1番私が関心を持っているのは、いわゆる境界性って言われてる方たちなんです。うちの子どもはIQの検査で、中度の知的障がいと言われて、今では色々福祉サービスを受けられています。医療的ケア児として認められてない時は、うちの子供の領域、立て付けっていうのは、知的障がい枠なんです。健常児って言い方がよくわかんないんだけど、いわゆるそこから漏れてて、生きにくい人たちっていうのが一般化されているので、事件の被害者になりやすい。事件の加害者になりやすい。少し前に法務省に少年院でIQの検査をしてあげたらいいのではと提言した。矯正するにしたって、大学の普通に行ける子と同じような諭し方ではわからない子がいっぱいいて、でも難しいのは私たちから見てわかってないなってことがわからない。

足高慶宣:まあよく言われています。刑務所の中にいる人たち、受刑者の中にも多くの(潜在的な)障がい者がいらっしゃるのではないかと。

野田聖子:足高さんおっしゃってるように定義がない。ふわっとしてるから。その犯罪自体を悪いっていうだけで、犯罪を犯した人とかの背景、被害を受けた児童の背景、その子たちがどういう育成なのかっていうのを調べずに、親が悪いに、犯人が悪いで終わってしまう。でも、そうじゃないと思うんですよね。

大川豊:知的障がい者の高齢化の問題がありまして、是非三原さんから、65歳以上の知的障がいの方の生活など発言していただければと思います。

三原じゅん子(参議院議員):私はこれをほんとに早急に議論をしていかなければならないテーマだと思っています。65歳以上の知的障がい者の方が本当に近年、激増してるんですよ。

(右)三原じゅん子参議院議員

その方たちは、制度の面から言えば、介護保険優先原則っていうことがあるので、結局、65歳以上の方々は特養とか、介護保険サービスを利用することになるわけです。しかしながら、介護保険事業所の方たちは、知的障がい者のケアの知識とか経験が、本当にあるのかって、考えるとないんですよ。無理ですよねっていう話です。ここから先、現実的に不可能な今の状況をなんとかしていかなければならない。65歳以上の知的障がい者の方々の行方というのが、今からどこへ行ったらいいんですかということは大きな問題ですよね。それが全然決まっていかないなんていうことがあってはならなくて。そしてまた在宅へとか、地域へって形をとっていったらとてもじゃないですけど、親御さんたちはもっと高齢になっていくわけです。
きちんとした制度をこれから作っていかなければならない、ということをぜひこの議連の中でも、私は大いに議論をして、方向性というのを決めていかなければなりません。これは大臣にもですね。ぜひ参加をしていただいて、そして、そのだ先生は介護施設をやってらっしゃるので、ぜひそのプロの介護施設をやってらっしゃる方のご意見とかも聞きながら進めて行きたいと考えています。

大川豊:自分もそのだ先生の老人施設(特養)の現場に行きました。鹿児島まで。何が素晴らしかったかって言うと、高度医療のスタッフを採用して、かなり厳しい状態の寝たきりの状態の利用者さんもケアができていました。

(左)そのだ修光参議院議員(右)大川豊氏

三原じゅん子:私も12年前にそのだ先生の施設に伺ってるんですよ。素晴らしかった。(利用者さんやスタッフさんが)あたたかくて、素晴らしい施設でした。

大川豊:若い人がどんどんプレゼンするんです。

野田聖子:(そのだ先生も施設の良いところを)もっと自慢してよ。素晴らしいことはもっと言ってほしいんだよね。そうすると、全国の人がわかるじゃない、好事例としてこうやればいいんだって。

大川豊:保健師の方、看護師の方がいて、ちゃんと在宅の方までケアして、時には散歩したりとか、高度医療でやってるんですよ。そういうのやっても、(全国の皆さんに)なんで伝えてくれないかなって思って。

野田聖子:今、三原さんに言われて、ハッとしたんだけど、考えてみたら、戦後のベビームーマーの方がもの凄くたくさん生まれたわけですよね。270万人前後。一定数はやっぱり知的障がいの方がいるとすると、相当な数はいて当たり前だと。

足高慶宣:実際に厚労省は、制度を作った時に、ダウン症の方々は20歳程度で亡くなるという前提だった。それが現在は、施設にいる方々は健康的な生活してて、それでバイタルチェックして、健康チェックしてて、長生きされていますよ。私の施設でも80歳を超えた人、ざらにいらっしゃいます。ダウンで20歳で死ぬ言われた方でも60、70になっても、みんな元気です。

野田聖子:福祉と医療の高度化でね。でもまだ、役所の立て付け自体が変わってないですね。

足高慶宣:昭和33年に作った設計図そのままでやってはりますから。

野田聖子:私、まだ生まれてないし。

足高慶宣:そんな時代でございます。

野田聖子:三原じゅん子さんとお話をしました。三原さんは神奈川県。仲間たちがいます、頑張ってる。幹事をしてくれてる松下新平さんが宮崎、幹事をしてくれてる猪口邦子さんが千葉、幹事をしてくれている朝日健太郎さんが東京選挙区。

あとは、今、大変な話題になりました、そのだ修光さん、私の代理会長代理をしてくださっている。この人は比例全国。今井絵理子さん、同じ障がい児のママなんだけど、今井さんも比例全国。小川克己さんは理学療法士、リハビリとか一生懸命やってくれてる。幹事。比例全国。自見はなこさん、小児科医は幹事。この方も比例全国でございます。

ありがとうございました。よろしくお願いいたします。